2021/03/21
カラー映画の日 「カルメン故郷に帰る」 富士フィルム

カラー映画の日
「カルメン故郷に帰る」
富士写真フィルム
日本映画で最初の国産カラー映画「カルメン故郷に帰る」が1951(昭和26)年3月21日に封切りされ、それを記念してカラー映画の日に制定されました。当時はカラーを総天然色と呼んでいてポスターでも"総天然色映画"と大きく打ち出しています。メガホンをとったのは木下恵介監督。後の1954年に「二十四の瞳」で大石先生を演じる事となる高峰秀子とタッグを組んで初のカラー映画に挑んだ作品です。
カラー撮影に際して富士写真フィルム(現:富士フィルム)のフィルムが使用されました。それはテクニカラーともイーストマンカラーとも違い富士写真フィルムが独自に開発したリバーサル外式発光で、撮影には相当の明るさが必要でした。
そこで松竹は、スタジオではなく長野県と群馬県に跨がる浅間山の麓で ほぼ全編外光ロケで行った。初のカラー映画ゆえにメイクにも色々と挑戦し撮影と確認を繰り返し、カラー版の出来が満足いかない時の保険として白黒(モノクロ)版も並行して2種類の撮影をしたりして大変な時間もかかったようです。
そして、1951年3月21日に初の国産カラー映画「カルメン故郷に帰る」は封切りをしたのです。
2010年を過ぎた頃にテレビで「総天然色のカラー映画」版を鑑賞しましたが浅間山や軽井沢の涼やかな風や雰囲気を感じました。色味が映画の内容と相まって富士フィルムの特徴が よく出ているカラー総天然色映画でした。
カラー映画の成功で内約していた破棄を免れたカラー版。使用されなくなったモノクロ版は破棄されることになったが後に木下恵介監督の遺品として発見され、DVD等の商品として発表されているようですが「映画製作のドキュメンタリー」として保管しておいていただきたいです。
■カラー映画の日 (3月21日)
■国産初のカラー映画
■カルメン故郷に帰る
■主演 高峰秀子
■監督 木下恵介
■製作 松竹株式会社
■製作協力 富士写真フィルム(現:富士フィルム)
■初公開 1951 3月21日
(*画像はイメージです)
木下恵介さんは1998年12月30日に逝去されました。数々の抒情溢れる映画を監督・制作してきた日本映画界の巨匠です。心からご冥福をお祈りします。
高峰秀子さんは2010年12月28日に逝去されました。木下恵介監督との仕事をなされてきて感動しています。心からデコちゃんのご冥福をお祈りします。