2021/04/22
山本富士子さん 初代ミス日本に 1950/4/22

山本富士子さん 初代ミス日本に 1950/4/22
1950 昭和25年4月22日に開催された第1回ミス日本コンテストで山本富士子さんが最初のミス日本に選ばれた。その後に映画俳優になり数々の映画に出演。
ミス日本は、現存する日本のミス・コンテストで最も古い歴史を持つ。1950年に始まり、2017年からは「一般社団法人ミス日本協会」に主催が変更。受賞の対象は17歳から26歳の未婚の女性。報酬賞金は100万円 (2021)
NET 日本教育テレビ(*1 )が発行していた月刊テレビメイト(*2 )から山本富士子さんを特集したページを紹介します。
"普通の女"だという天下の美女
山本富士子その人間的な魅力、家庭での姿──池田敏夫
(中略)
──もっとも1958年のブルーリボン賞主演女優賞を得て「美しさのほかに勝ち気と頭のよさ」を認められた お富士さんのこと、自分で百も承知のことだろうか、彼女の人間的魅力は それらを包んだ もっと大きな人柄と いえないだろうか。「私は古い女が好き。自分のことだけでなく、他人のことを考えるような人間同士の間柄。そんなものが日常生活の中でも欲しい」さらに故・小津安二郎監督が いい残した「いい人間だけが いい演技をできる」という教訓の実践者たらんとしているのが彼女だ、ということを以前に聞いた覚えがある。
(中略)
「平凡な女、コメディ、メロドラマなど、いろいろ肩ひじ張ったものでないものを やってみたい」と張り切っている。話の中で"美しいヒロイン"をやってみたいとはあまりいわない。美しさを強調しない お富士さんは ひかえ目な魅力であり、また何となくさびしい。ファンとは欲張りなものだ。──
池田敏夫 日刊スポーツ文化部
─誌面から一部を転載─
■月刊 テレビ★メイト(テレビメイト) 3月号 258
■サイズ A4 国際レター
■表紙・裏面・中央ページ 4C(4色) 本文2C
■発行 NETテレビ広報部宣伝課(現:テレビ朝日)
■編集・発行人 関谷繁
■発行日 1971 昭和46年2月25日
(*1 ) NETテレビとは
テレビ朝日の前身で日本教育テレビ N =日本 E =教育 T =テレビの頭文字を取ったテレビ局です。1958年12月に日本教育テレビサービス創立。1960年12月にNETサービスに。関東地方ではチャンネルは10でした。1973年11月にテレビ朝日に呼称変更する。
(*2 ) テレビ★メイトは
NETが番組視聴モニター希望者に販売していた月刊誌。当時の価格は40円。